またか…
そんな声が聞こえてきそうなケッタルイ題名。
「スマホがあるから要らない」
「持つならアップルウォッチでいいよ」
モノが道具として必要かどうかを問われれば、確かにそうかもしれない。
けれどそれならば、服だって皆んなユニクロ製の化繊でできた軽くて機能的なもので揃えればいい。
でもそうはいかない。
服装ひいてはファッションは個性の表現であり、服装を選ぶことで自分にとって心地よい、あるいは人にとって感じがよく見えるというのは絶対。ネクタイなんて今や全く必要なく、何のためにつけるのかわからなくても皆んなそういう場では使うことに疑問を抱かない。
それは、モノが機能を超えて文化に昇華しているからに違いないと僕は思います。
機能が究極までたどり着いたあと、モノは消え去るものや代替物が出たりする以外に文化に昇格することがあります。
そして腕時計は文化に昇格できた部類だろうと僕は考えています。