「寝ても覚めてもつけてる」
「身体の一部のよう」
腕時計を偏愛するあまり、そういう時計の使い方に憧れた頃がありました。
たった一本の時計を身体の一部のように24時間付けっ放しで愛用することができたら…代え難い宝物になると。
いやいや、
それではあまりに勿体ない。
たった一本の時計を愛用するのはアリとして。
ずっと昔、
格好いい腕時計の見方はあるか?
と時計好き同士で議論したことがあります。
映画のワンシーンとか、意見は出ましたが、概ね腕時計を確認する美しい所作はないなというのが結論でした。
時間を気にかけるのは基本的にあまり格好のいいことではない。
懐メロでも松田聖子さんが「あなたが時計をチラッと見るたび泣きそうな気分になるの…」と歌われてました。女性を泣かせてはいけません。あまりに格好悪い。いや、今の時代なら逆?女性に泣かされるのも格好悪いですね。
兎に角、時間を気にする所作は時間に迫られてる場面が多くあまり良い表現には使われない。
007のようにレーザー光線でも出れば違うかもしれないけど…出ないでしょ。
腕時計に関する所作で格好いいなと僕が思うのは、腕時計の付け外しの所作。
非常にその所作が様になっていたのは僕の記憶では田村正和さんでした。朝のシーンでさりげなく革巻きの時計(ゼニスとかGS)を朝食前つけられていたのが、1日の始まりを表現してて格好良く見えました。もっとも、あの人は何をやっても格好いいですけどね。
オンとオフ
ストレスとノンストレス
時間からの束縛と解放
こういうメリハリを腕時計で示すことは時間に支配されている感じが少なく逆に限られた時間をうまくコントロールできてるようで格好よく思えます。
1日の始まりに腕時計をつけて自分の気持ちにスイッチが入いる。そして、1日の仕事を終えてさりげなく外した時計を置く瞬間がたまらなく心地よく感じることができるのは、時計好きならではかもしれません。
腕につけている時も愛着は湧きますが、傍でまた共に働けるように静かに待機している愛用の時計も非常に頼もしくまた一層愛らしく見えるのです。