気まぐれ腕時計館

腕時計好きになって33年。貯めてきた戯論を気ままに書いています。

還暦にもなると腕時計は…

三十数年。

「良い腕時計とは?」

などと考えて来ています。

今更、それが無駄なことだとは思わないけれど、ゴールはないこともわかって来ています。笑

 

さて還暦近くなって、良い腕時計が高級腕時計だとはますます思わないようになりました。

「これくらいの腕時計は身につけておくべきだ」

というようなステータス性ももはや時代遅れ。

むしろ、

あまりステータス性のない腕時計をサラッと使う方がお洒落に見えることもありますし、楽でもあります。

還暦までなると定年退職ということにもなってきますし、定年のない自由業をやっていたとしても周囲を見ると自分より上の現役はあまりいなくなってる。

「もう若くはない。」

ということは言われなくても自分で気づきます。

社会に出て数十年、色んな経歴と経験という鎧を身につけてきた還暦世代にとって、腕時計で「武装」する必要は全くありません。

どんな腕時計をつけていようとも、数十年社会で生き抜いてきたという実績は腕時計をはじめ、身につけるもの以上に空気から滲み出ている。そんな気がします。

もちろん、

高級腕時計が必要ないということでもなく、自分がそれを好きであれば自由に使っていいと思います。

何百万円、時には一千万円を超えるような腕時計を身につけたっていいと思います。自分が楽しいならそれでいい。

けれど、「相応の腕時計」ということは意識しなくてもいいだろうと思います。

たとえば極端に言えばチプカシでもいい。

還暦以上にもっとはるか老年の方の腕にチプカシ。

すごくカッコいいと思います。

逆に使い込まれたロイヤルオークなんていうのも果てしなくカッコいい。

要するに、歳をとるとなんでもカッコよく見えてくるんですね。

一番大事なのは、歳のとり方。

若者が「あの爺さんなんかカッコいい」と思ってくれるような素敵な歳のとり方をしたいですね。

素敵な歳のとり方?

そこは各人にお任せいたします。

 

僕自身は、還暦とはいえまだまだアクティブに生きたいと思う方なので、こんな時計がよく思えます。

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ハミルトン カーキアビエーション メカニカル

手巻き時計というマニアックさと小型軽量で行動を邪魔しない、けれどしっかりそこにある存在感が心地よく思えます。

 

 

 

自分らしい腕時計とは

腕時計をつけない人が多い。

どこにいても時間はわかるし、スマホが有れば事足りる。

懐中時計の時代に逆戻り?

ではなくて、

懐中時計は時間しか教えてくれない。

けれどスマホは…もう言わずもがな…

時間を知る時だけでなく、様々なワークタイムにスマホは持ち主と共にあるし、その間、時刻を常に表示してくれる。

スマホを見ながら、時間を腕時計で確認する人は、

よほど古い習慣が残っている人か、あるいは我々のような腕時計好き。

ただし腕時計好きは、腕時計を見ながら時間を確認していないことも多い。

ただ腕時計を眺めているのです。愛しいものを見つめるように…

 

さて本題。

自分らしい腕時計。

これは昔からよく語られる事項。

先に言っておきます。

確固たる答えなんてありません。

各人それぞれが、自分の人生のその時々に於いて何千何万通りもの答えがあるはずです。

そもそも自分らしいって、自分のことを冷静に判断できる人が幾人居られるのでしょうか?

自分は何々である!

と言っても人間ですから、所詮はタンパク質の塊、新陳代謝も激しく、10年前の個体とはほぼ入れ替わった自分なのですし…

と屁理屈を捏ねてもしょうがないですね。

で、今日はある一つの答えを書きます。

これ、逆説的でもあるのですが、

「自分らしい」って多分一生答えが出にくいんだろうと思うんですよ。生き方そのものだし、生きるって何?自分は何のために生まれた?色んな人が自問自答しながら人生の真理を探すように。わからないというのが答えだろうと僕は思います。

けれど、人間って不思議で、

自分以外の人のことはよくわかるんですよね。

「あの人はあんな人だね」とか「あなたらしいね」

とかよく出てくるセリフ。

もちろん、

それが自分にとって正解かどうかはわかりません。

しかし、そう言われて心地よいか悪いかはわかります。

自分が大切に想っている人たちの言葉なら、

ある程度素直に聞けるのではないでしょうか?

「いや自分はそんな人間じゃない!」

と思うかもしれませんが、少なくともあなたをよく知っている、あるいは知ろうとしている人からはそう見えているわけです。

色んな答えがあると思いますが、それも一つの答えなんでしょう。多分。

逆にその親しい人たちの意見を遮って、

「いや、自分はそんな人間じゃない」と踏ん張ってみてもあまり意味がないんですよ。

なぜかと言うと、それは独りよがりというものなのです。

結局、僕らは誰も独りで生きてるわけではなくて、必ず誰かと一緒でなければ生きていけない生き物なんです。

「いや、無人島で独りで生活してたら…」

なんてこともありますが、あなたはそれができますか?できる人であればすみません。すごい人だと思います。

僕はできないですし、想像するにほとんどの人が何らかの社会というコミュニティに関わって生きていると思います。

で、

その中で、人から思われている「あなたらしさ」は確実に存在します。

特に自分の大切な人たちが持っている「あなたらしさ」は貴重です。できれば、もしあなたが「いや私はそんな人じゃない」と心で思っていても、それはそっとしまっておいて、コミュニティの中では人から見た「あなたらしさ」を演じてみるのも一興です。多分、その方が多くの場合でうまくいきます。

 

さてそろそろ結論。

ここまで読んでいただいて、

「自分らしい腕時計」

の答えがわからないという方はいらっしゃらないと思います。

もしかすると、

人によって答えがいくつかあるかもしれません。

それぞれのコミュニティで付き合い方も違うでしょうから。

だけど、迷った時は、あなたの一番大切な人があなたに持っている「あなたらしさ」を尊重して間違いないと思います。

そうです。

その一番大切な「あなたらしさ」を表現する腕時計は何ですか?

それが答えです。

 

もしも、大切な人たちを遺してあなたが先立ってしまった時にも、その腕時計は遺された人たちに、あなたと過ごした時間の記憶を呼び起こさせてくれるかもしれません。

 

最初に言いましたが、この答えは数ある正解の中の一つであることも忘れないでください。

腕時計は追求すれば楽しい底なし沼ですから。

おおいに自由に楽しみましょう。

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優しい時計

ブタクサによる花粉症と新しく入手したカメラのテスト撮影とGW明けの仕事の忙しさで少々バテ気味。それに加えて今年は秋にフルマラソンをもう一度と練習中なので還暦前の老体が悲鳴をあげつつある今日この頃。心だけは好奇心と野心でいっぱいなので、心と身体のバランスがとれていないと、どっかの医者が言っていた。
最近は私的万能時計であるIWCのインヂュニアがどこに行くにも一緒で写真に仕事に旅行にもっぱら真に相棒と化しつつある中、体調不調を感じると少々軽い時計も恋しくなり、この時計を持ち出してみたところ、やっぱり抜群にいいなと改めて思う次第で記録に留めておきたくここに記します。

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ハミルトンカーキフィールドメカニカル。
最近は写真やカメラに情熱が奪われている傾向を自覚しつつも動画版クロノスも楽しみに見させていただきつつ、思い返すと30年以上時計を愛してきている自分を振り返ると「昔は良かった」とセリフを使い回す老害にはなってはいけないと心ひそかに思うのですが、そんな年寄りにもこのカーキフィールドはとても優しい。

あえて言うまでもなく古いミリタリーウォッチをルーツにしている。
戦場で使われる時計というときな臭く血なまぐさくも感じるかもしれないが、戦場というまぎれもなく命をかける場において、道具は人に優しくないといけない。
つまり使うことに所定の所作が面倒であれば、それはもう苦痛になる。
カメラもそうだが、機械は使う人に優しいものほど良い。複雑な所作を楽しむのは趣味として、あるいは茶道のように敢えて心鎮める目的には成立するだろうが、追い詰められた時には必要ない。道具として自分の手足の如く動いて機能を果たしてくれる。これだけで十分だと思う。
カーキフィールドメカニカルはその点において合格と言えるだろうと。
理由はまず一つに見間違えようのない視認性の良さ。マットブラックにアラビア数字、白ぶちの中に夜光針がインデックスまで届いてる。正直には味気ないが完璧だと思う。
二つ目に重量。純正NATOベルト込みで60g。これを重いと言ってしまえば、もっと軽量なプラスティックウォッチをつけた方がいい。ほぼ現代のリアル軍用時計の一つG-SHOCKのウレタン系5000番台もおよそそれくらいの重量です。
そして三つ目に手巻きのしやすさ。竜頭が適度に大きく手巻きの感触が非常に良い。指先に軽いコハゼの抵抗と共に巻き上げることの面倒の無さは他の手巻時計に比べても特筆すべき心地良さだと個人的には思う。ETAの汎用機械を使いながらこのチューンニングは素晴らしい。竜頭の大きさが非常に影響しているとは思う。エレガンスを唄う手巻き時計だと竜頭を大きくできないだろうが、ミリタリーウォッチとなるとそれが可能。かと言って大き過ぎるのも無粋だし引っかかって知らぬ間に時間が違ってたという事態にも。カーキフィールドメカニカルは総合的に快適な使い心地を使用するものに与えてくれ、あらゆる生き抜くべきそれぞれの「戦場」で疲れ切った人に優しく寄り添う。
蛇足ではあるが、発表当時よりは格段に値上がりしたものの、未だ懐にも優しいことは四つ目の特筆すべきことかと思う次第。多くの人にとって遠慮なく使い込める価格設定だと思う。

(2026年5月現在  89100円)

 

ラグスポの凍傷防止法

オールラウンドで使いやすいラグスポことラグジュアリースポーツウォッチ。ブレス一体型の防水時計のことを総称して言いますが、代表的にはパテックのノーチラス、オーデマピゲのロイヤルオークが有名でしょうか。これらの腕時計は現在非常に高価で数も少なく手に入れるのは困難ですが、比較的手に入れやすいモデルも探せば数多くあります。

ラグスポの話題を語れば尽きないので、今日は表題の自己流の凍傷防止法について少しだけ。

私が使用しているのはIWCのインヂュニア。現行品ではなくETA2892A2を搭載したモデル。

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どこに持って行っても通用する便利なオールラウンダーですが、唯一心配なのが、極寒の地、金属の塊のようなラグスポですから、たとえば南極とかの極地で凍傷にならないかということ。

極寒の地ではあらゆる意味でNATOベルトが1番使いやすいのではと考察しています。つまりNATOベルトが使えるタイプの腕時計が良いだろうと。

しかしブレス一体型のラグスポではNATOベルトは難しい。

このまま使うにはどうしたら良いか。

答えは単純ですが、

要するに皮膚と密着しなければ良いので、薄手のフリースのインナーグローブの上から装着します。

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私の好みですが普段は緩めに腕時計を装着していますから、薄手のインナーグローブの上に装着するとちょうど動き回らずしっかり固定できます。

そしてその上から袖をゴムかベルクロで縛れるジャケットを着て腕時計を覆います。

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こうすることで、腕時計も保温できますし凍傷も防ぐことができます。

激しい動きにズレるのでは?と思いましたので、10kmほどインナーグローブの上に装着してランニングしてみましたところ、全く動かず快適に時刻を確認できました。

 

繰り返しのお話になりますが、普段は緩めに装着していることが条件です。

 

これから暑くなるというのに何の話かと思われるでしょう。それに南極なんて関係ないというお話ですが、人生ではいつ何時に何が起こるかわかりません。エベレストには登れなくても南極はツアーもある時代。備えあれば憂なし。

 

このお話、実は「あがり時計の考察」に繋がるのです。

神様に太鼓判を押してもらった時計

G−SHOCKの5600と5000を6月から使い続けていますが、まぁ便利で安心で気兼ねがないですね。
本当の究極のツール。

礼節を重んじる特殊なシチュエーション以外では他の時計は必要ないと思えるくらい完璧なタイムツール。
とはいえ....

僕は他人がどう言うか知りませんが生粋の時計愛好家ですから、無性に機械のチクタク音を求める時があります。そういう時は自分の手持ちでチクタク音が聞き取りやすいのを選んでつけます。
たとえば、これ。

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眺めてよし、音もよし、つけ心地も抜群。

知る人ぞ知る時計の神様フィリップ・デュフォーさんに幸運にもお会いできた時に直接「その時計はすごくいいよ」(と英語で)太鼓判を押してもらったこの時計は間違いなく生涯の伴侶の一つであります。

デュフォーさんのシンプリシティーはとうとう買えなかったけど、神様が認めてくれたジャガールクルトのCAL822搭載レベルソは間違いなく時計好きの皆様にオススメできる逸品であります。

MRG-B5000 デジタル腕時計の究極として

序論

 

腕時計は、かつて時間を知るための必需品であったが、スマートフォンの普及によりその役割は大きく変化した。

今日において腕時計は実用以上に、自己表現や趣味性、あるいは思い出を宿す「文化的対象」としての意味を帯びている。

 

デジタル時計の進化と行き着く先

 

1980年代に隆盛を迎えたデジタル時計は、本来「合理の象徴」であった。低価格、軽量、多機能、実用的──それが価値の源泉だった。

その進化の果てが、スマートフォンやスマートウォッチにあることは明らかだ。そこでは利便性が最大化され、伝統的な時計の要素は希薄となる。

 

G-SHOCKの特異な立ち位置

 

1983年に誕生したG-SHOCKは、デジタル時計を「壊れないツール」として再定義した。安価で丈夫で、しかし樹脂という素材の宿命として経年劣化から逃れることはできない。多くのG-SHOCKは、思い入れ深い存在となり得ても、物理的には消耗品としての側面を持ち続けてきた。

 

MR-GとB5000

 

1996年に登場したMR-Gは、G-SHOCKを高級素材で再構築し、「ツールから宝物へ」という転換を図ったシリーズである。その中でもMRG-B5000は特別な位置を占める。

それは唯一のデジタルモデルであり、初代スクエアの系譜を最高級の素材と加工で甦らせた存在だからだ。

 

贅沢という逆説

 

MRG-B5000は、機能面ではあえて昔ながらのデジタルに留まる。しかし外装にはチタン合金、コバリオンDLCサファイアといった最高級の要素を惜しみなく投入し、職人の手による鏡面研磨が施されている。

ここにあるのは「合理の果て」ではなく、「非合理の美学」である。

機能的には制限を保ちながら、素材的には極限まで贅沢を尽くす──その逆説的な構造が、この時計を唯一無二の存在にしている。

 

結論

 

MRG-B5000は、単なる高級G-SHOCKでもなければ、単なるデジタル時計でもない。

それは「デジタル時計の究極」であり、同時に「時計趣味における一つの到達点」を象徴するモデルである。

合理性から出発したデジタル時計が、非合理なまでに贅沢な形で結晶化した姿──そこにCASIOの矜持と文化的意義が込められている。

MRG-B5000 (そこに価値はあるのか?) Final G-SHOCK on my life

いわゆるG-SHOCKらしいというか、
おそらく多くの人がG−SHOCKに求めるもの、
あるいは所有する意味から離れているシリーズがMR-Gではないだろうか。
特に5000に注目すれば、
中の機械だけ見れば、見た目と機能で2万円ほどで買えるものとそう変わらない。
実際は別物だけど、それがわかる人は少ない。
ほとんどのコストがガワの材料と手間にかけられていると考えられるが、
そこに何倍もの価格差が生じてもMR-Gというラインで作ってしまった。
G−SHOCKに求めるところ、
つまり比類ない堅牢さと正確さというところで考えれば2万円のモデルでも十分だし、
ステンレスのフルメタルモデルなら十分に満足できるところだと思う。
実際にステンレスのフルメタル5000には重さ以外に欠点はないと思う。
重さだけのことを考えれば廃盤になったチタンモデルでも十分解決できたのに、
あえてMR-Gという手間をかけたラインで出したのが3年前。

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40万円を超える価格に「いったい5000をこんな値段で誰が買うのだ?」と思った。
しかし逆に、この価格でもCASIOが持てる技術を全部使った「極」であるというならば、
スクエアのオリジンが心から好きなものは「持っておきたい」と思うのも頷ける。
おそらくは、
この値段(現行価格はブラックが49万5千円)で出しているG−SHOCK、
よもや使い捨てという感覚で販売はしていないと思いたい。
加水分解の心配もない、そしてG−SHOCKだからとカジュアルに縛られることもない
そんなおよそ「高級」という分野からは離れていたブランドにある意味使うことに自負すらももたらしてくれるMR-Gの5000は所有する価値のある一本だと僕は思う。
そしておそらく、ほとんどの人に、それが高級であることがバレない(わからない)というところも、5000好きとしてはニンマリできるところだということを加筆したい。