気まぐれ腕時計館

腕時計好きになって31年。貯めてきた戯論を気ままに書いています。

アガリのダイバーズウォッチ 中編

後編にするつもりでしたが、長くなりそうですから中編とします。

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「セカンドダイバー」とは何か。

150mダイバーとしてファーストダイバーが世に発表されたのが1965年。150mダイバーの第2弾がセカンドダイバーということですが、現在多くのセイコーダイバーの特徴である4時位置竜頭を装備し、無骨で頑丈なケースに壊れにくい機械を入れる。この方式は現在に至るまで数多くの場所で信頼を得ている理由だと思います。

「セカンドダイバー」の名を更に「植村ダイバー」と呼ぶのはご存知の通り、冒険家の植村直己さんが1974年から1976年にかけての北極圏12000km犬ぞりの旅に使用した時計だったからです。

冒険家の植村さんを知らない世代の方もいらっしゃると思うのですが、超簡単に説明しますと1960年代から80年代初頭に活躍した冒険家です。

日本人初のエベレスト登頂が有名。これだけでも十分すごいですが、五大陸最高峰登頂、北極圏での犬ゾリの旅など数々の冒険、そして何より人なつっこい純朴な人柄で植村さんを慕う人が多かったのではと思います。エベレスト登頂の際にはおそらく支給品か貸与品のセイコー300mダイバーを使用。北極圏12000kmの旅ではおそらく自前だったろうセカンドダイバーを使用。何故かこちらの方が有名で植村ダイバーと呼ばれています。ひょっとするとその次のノースポールへの旅でのエピソードと混同されているかもしれません。そのエピソードとは簡単に述べますと、当初用意したロレックスが動かなくなり、取材記者から借りたセイコーで助かったという逸話なんですが、これをセカンドダイバーだと思ってる人も少なからずいらっしゃるのでは?と思います。植村さんの北極圏での冒険は大きなのが3つもありますから混同されても仕方ないかもしれません。ノースポール編のロレックスの代打話は「セイコー」というだけでモデル名は不明です。もちろんセカンドダイバーだったかもしれません。植村さんに貸してくださった設楽という記者さんも、もうこの世には居られません。お子さんがご存知かどうか、定かではありません。

ロレックスが動かなくなった理由は植村さんにあります。凍傷を恐れた植村さんが革ベルトに交換して使っていたところ切れてしまって、紐に吊るして使用してたら寒さで油が固まって止まってしまったという顛末。セイコーと交換されたロレックスは記者さんが普通に暖かい環境に持っていくと動き出したとのこと。そう。腕時計は身につけてこその道具なんです。

そしてあまり語られない謎ですが、

何故、ロレックス(エクスプローラ2)を植村さんが使用されたか?

ノースポールへの旅の前に日本ロレックスから冒険者アワードという賞を貰われて、エクスプローラが贈られたそうです。自分の冒険の価値が公に認めてもらえたことが人のいい植村さんのこと、余程嬉しかったのでしょう。律儀にロレックスで冒険に出られたということのようです。その前に北極圏12000kmというとんでもない冒険でセカンドダイバーを使用して成功しているのにわざわざ道具を替えるというのは、今風に考えますとスポンサーの変更に近い感覚でしょうか。今でこそ多くの冒険家をはじめ挑戦する人たちのサポートをしているセイコーなんですが、実は正式に植村さんのスポンサーになったことはありません。ただ国を挙げたイベント、例えばエベレストもそうですが南極越冬隊などでもセイコーダイバーが公式に使われていましたからセイコーダイバーに対して植村さんがご自身で信頼を寄せておられたことは想像に難くありません。個人の冒険をサポートするという志向が当時はまだ少なかったのでしょうね。

ここからは誰も言及していないですが、ノースポールでは借り物のセイコーで無事に冒険を成功させた植村さんですが、その後、冬季エベレスト登頂の断念、フォークランド紛争による南極大陸冒険の断念が重なり、おそらくモヤモヤされてる中で冬季マッキンリーへの登頂を計画、自身の誕生日(2月12日)に登頂したものの翌日の13日に消息不明となり帰らぬ人となりました。

成功した冒険では、腕時計をはじめその時に使われていた道具の名も有名になりますが、うまくいかなかった冒険では当然ですがパッとしません。

ここからは私の想像と、そして事実を交えてお話しますが、ノースポールの旅でせっかく自分を讃えてくれたロレックスに理由はどうあれケチをつける形になった人柄のいい植村さんが南極大陸冒険でロレックスの名を自身の冒険であげたいという想いは想像に難くありません。たかが腕時計にそこまで思うかと言われるでしょうが、私がそう思う理由は植村さんが用意周到な人だったということです。冒険に使う道具は普段から使うべきと考えられていた植村さんです。そして数年に及んだ北極圏12000kmという物凄い旅でセカンドダイバーは十分に機能したわけです。そんな実績あるセカンドダイバーを使わず続くノースポールでロレックスを使用したというのは、それだけに恩に報いたい想いがあったということだろうと考えます。だからおそらく南極でもロレックスを持って行かれたのだろうなと私は考えています。何故なら、これも殆ど語られることがありませんが、最後となった冒険の冬季マッキンリーで、植村さんが使われたのもロレックスだったからです。これは、植村さんの奥様からお聞きしたお話です。植村さんが最後に使われていた腕時計はロレックスだったのです。どこかで、恩を感じておられたロレックスで成功したいというお気持ちがあったのではないかと。自分の命を預ける道具に一際こだわられる植村さんだからこそ私はそう考えます。植村さんが消息を絶たれた直接の原因は未だわかっていません。もしも身につけておられたのがかつて成功を幾度も重ねたセイコーダイバーであったなら、ひょっとして…

いやいや、そんなこと全く関係ないよ!たかが腕時計じゃないか!と皆さんが思われることは容易に想像できますが…

されど腕時計であります。道具には魂が籠ると言います。人と同じく心から邪心なく信頼できる道具と一緒に動くというのは、もしも「運」というものが存在するならば、なんらかの幸運を導く見えないけれど確実に存在する何かがあるのではないかなと私は考えます。

もう一度言います。

たかが腕時計、されど腕時計なのです。

 

(今度こそ「後編」に続く)↓↓

https://echolo-lem-watch.hatenablog.com/entry/2024/02/13/203833