
オメガスピードマスターmark2に関して勘違いしていました。
このベゼル無しのオーバルケースは当時の流行で奇をてらったものと考えていましたが、
そもそものデザインの起源が流行というよりも機能であったことを僕は理解していませんでした。
初代マーク2が世に出たのは1969年。アポロが月着陸した年。
ここからスピマスプロが不動の地位を現在まで維持していることは周知の通り。
しかし、これもスピマス好きなら周知の通りでオメガでは通常市販モデルがNASAに採用されてから更に宇宙仕様に特化したモデルを開発しようとアラスカプロジェクトを始めていました。
スピマスがNASAによる宇宙計画に採用されましたが、オメガとしては棚からぼた餅的なお話。特別に宇宙用に開発した腕時計ではなかったことは明白でたまたま当時のライバル達よりも頑丈であったというのが理由。
スイス時計を代表していたオメガですからウォッチメーカーとしてはプライドもあったでしょうし、おりしも東方から不吉な風も吹いてきていましたし、威信をかけてアラスカプロジェクトをはじめた…のだろうというのは推測に容易いですね。
真の宇宙用時計を開発すべく立ち上げられたアラスカプロジェクトですが、出来上がった最高最強の腕時計がNASAに採用されることはありませんでした。理由は「必要ないから」。今使っている普通のスピードマスターで十分との判断。合理的な某国らしい結論です。ただロシア(当時のソ連)には採用されたと聞きました。腕時計に国境なし。
数々の創意工夫がなされたアラスカプロジェクトですが、その中のコンセプトの一つとしてデザインは引っ掛かりが少ないことでした。宇宙服などに腕時計の出っ張りや角が引っかからないように。その一つのプロトタイプとしてベゼルのないオーバルケースやクッションケースがありました。そしてプッシュボタンや竜頭も引っかかりにくいようにケースに埋没させるような形状。マーク2はそのコンセプトで作られたようです。
スピードマスターマーク2のデザインが、ジェラルドジェンタ氏がデザインしたオメガコンステレーションのCラインからきていることは製造された年代から容易に想像がつきます。
後にアラスカプロジェクトに繋がる時代を反映して機能美へと集結させたスピードマスターマーク2。当時も宇宙には行けず、人気もさほどなく、今の中古市場を見てもプロフェッショナルと同じ機械を使っていながらかなり格安、自動巻コアクシャルとして復刻させたものの数年で廃番となった不遇のスピードマスターではありますが、その存在意義は思っていたよりもスピードマスターの歴史において重要なメルクマールではなかったかと僕は思うのです。
.....と長々と書き連ねましたが、
ジェラルドジェンタ氏デザインのコンステが色んな意味で好調だったので、オメガのデザインコンセプトとしてコンステ、シーマス、スピマスの3本柱をCラインを基調とした流線型デザインで未来的志向を目指そうとしてた矢先にNASA採用の話が突如舞い込んできた。これ幸いと渡に船で自社のイメージをさらに未来志向のデザインにとしていったという推測はアサハカであろうか?とりあえず、この時代のデザインは70年代に夢の未来を思い描いていた少年だった現オジサンには未だ刺さるのであります。そして色々とこじつけたくなるのです。